燃え尽きて灰になった時代
34歳は「代償」を支払う日々
・まともに働ける状態ではないので、共同代表の菅原さんにNimbus Creationの「舵取り」をお願いし、自分は療養期間に入った
・「まともに働ける状態ではない」どころか、よく考えると「半分人間じゃないような状態」が続いた(まるで悪霊に取り憑かれていたような。本当に使い物にならない状態だった)
・自我が粉々に砕け散って「人生のどん底」に落ちた感覚が延々続いた
・被害者意識が拭えず、特定の他人に対する憎しみが抑えきれず、何度か血管がキレそうになった。
・やがて脳が機能を停止して、寝たきりになった(数週間、文字通りなにもできない日々が続いた)。
・寝ている間も、脳内の反芻思考によって扁桃体が発火し続けて、希死念慮が何度も浮かび上がった。
・最も頭を苦しめたものは「眠りたくても眠れない」ということだった(反芻思考と希死念慮が原因)。
・この時「睡眠の質=メンタルの質」であると悟った。
・自暴自棄になり、生きる意味がわからず「もうこれ以上、頑張りたくない」と人生を諦めたくなる生活が数ヶ月間続いた。
・以降、ずっと、家族と友人、仕事仲間が励ましてくれた。たくさんの人に支えてもらった。このご恩は一生忘れない。
精神的におかしくなっていた頃の箭内。なぜこの写真を撮ったのかも覚えていない。
「鳩杖」に魅了されて
この杖は特別な逸品だった。
この杖は鳩杖という。鳩杖は、古来より「位の高い高齢者(総理大臣等)」の「長寿と功労をねぎらうため」のもの。
握りには「純銀の鳩(長寿と平和の象徴)」。支えている木材はギアナ高地にある「スネーク・ウッド(最も希少であることから非常に高価な資材の一つ)」。値段は約100万円で希少なものだった。
当時は統合失調症の症状が凄まじく(フラフラになって「杖」を買いに行ったのは覚えているが)「なぜこんなにも高価な杖を買ったのか」はまったく覚えていない。
ただ、この鳩杖をみたときに心底感動して自分に「必要だ」と確信した。その他の杖を選択することは考えられなかった。その後、鳩杖を購入した件でTV取材の依頼が来た(が、精神的におかしくなっていたのでお断りさせていただいた)。
総じて、この一連の出来事の意味は、今考えてもまったくわからない。
鬱を治すプロセスで分かったこと
・心理学の知識や心理療法の技術があろうが(むしろそれがあるからこそ自己否定が起きて)「うつ」の症状がなかなか良くならかった。
・やがて重症になってしまい、前頭前野が機能せず、些細なことで感情が暴走して些細なことで涙が溢れてしまう日々が続いた。
・その上、脳がおかしくなり半身麻痺や言語障害にも悩んだ。言葉が出てこず、まともに話せなくなった。
・カウンセラーやセラピスト仲間に対して、自分が弱っている姿を見せるのは「情けないこと」に思えてずっと相談できずにいた。
・やがて「自分はもう元には戻れないのだ」と思い、自殺を検討し、生死の淵を彷徨った。
・結果「いのちの電話」に2度お世話になった。家族や友人が駆けつけてくれて温かく励ましてくれた。
・療養中に「もし脳が回復できたなら、今後の人生は、過去の自分のような不器用な人々の力になろう」と決意した。
・箭内のリハビリにおいて、師である北岡泰典さんをはじめ、多くの知己の専門家たちが無償でセッションを提供してくれた。そして、ダメージの割に驚異的な速さで回復した。
・この出来事を通じて、会社のメンバーや既存のクライアントの皆様に多大なる迷惑をかけたことで「自分を徹底的に見つめ直すこと」を永続的に続ける決意をした。
・その時にやっとこれまでの人生の改善点と今後の人生の方向性がわかった。
・そして絶縁していた家族と和解したり、元妻、娘と再会し、交流が復活した。愛するパートナーとも、家内安全を保てるようになった。やはり家族は偉大だと悟った。
人生で最も大切なものは「家族」と「友だち」だ。
天職と最愛のパートナーがいる。最高だ。
残りの人生は「アンパンマン」みたいに生きよう」
34歳にしてアンパンマンになることを決意した。やなせたかしは偉大だ。
次のページでは「眠ること」に燃える時代についてご紹介いたします。