
この社会の
「生きづらさ」の
根本的な原因は何か?
現代の日本は、
かつてないほど物質的に豊かです。
衣食住に困らず、テクノロジーも発達し、
便利な社会が実現しています。
しかし、その一方で…
「なぜ自分は生きているのか分からない」
「毎日が虚しい。働く理由が見えない」
このような“実存的な空虚感”が、
あらゆる世代に広がっています。
ここでいう実存とは、
単なる感情や気分ではなく、
“自分は何のために生きるのか”
という人生の核を意味します。
つまり、
実存とは「生きる意味」のことです。
厚生労働省の統計によれば
日本人のおよそ20人に1人が
精神疾患を抱えている
とされています。
年間600万人が
心を病む時代
上記の統計によると、
1年間で精神科に通院している人の数は
600万人を超えています。
これは診断を受け、
実際に医療機関を利用している人だけの数です。
これだけでもその深刻さを示す
象徴的なデータと言えますが、
病院に通っていないが
悩みを抱えている人々も含めれば、
実際にはその数倍にものぼる潜在的な苦悩が
社会に存在していると考えられます。
「生きづらさ」の症状
うつ病、家庭崩壊、
引きこもり、孤独死、自殺……
これらはすべて、
バラバラの社会課題に見えて、
実は一つの共通因子──
「生きる意味を語れない構造」
が根底にあるのです。
かくいう私も
その一人の患者でした

お恥ずかしい話ですが、
心理療法や能力開発を
指導する立場にも関わらず、
重度のうつ病となり
1年間療養せざるを得ず
働けなくなったことがあります。
プロとして、
日頃から運動・栄養・睡眠には
人一倍、気を遣っていました。
しかし、
仕事と家庭のストレスによって、
半ば自暴自棄になり、
あの「いのちの電話」に2度お世話になりました。
幸運にも家族や友人たちの温かい言葉かけによって
「何のために生きるのか」を思い出しましたが、
この出来事は私の人生にとって、
とても重要な意味が宿りました。
そして、そのことがきっかけで、
「生きる意味を語れる社会をつくる」
という取り組みを始めました。
人間にとって意味は「報酬」です
人は意味がないことは続けられません。
逆に、真に意味があることには
命すら賭けることができます。
たった一言でもいい。
心の底から生まれた、自分の言葉で、
「自分は何のために生きるのか」
を語れたとき、
人は深い癒しと回復を経験します。
さらにその語りが、
誰かの心と響き合ったとき、
「自分も語っていいのだ」と
ポジティブな連鎖が起こります。
それが広がっていくとき、
社会は静かに、しかし確実に変わっていきます。
なぜならば
「生きる意味」を語れる人は、
他人の人生に希望を灯すことが
できるからです。
「生きる意味を語る」
ということは「個人の癒し」であり、
「他者との関係性の再構築」であり、
「共に美しい未来を始めること」です。
これは実質の「社会運動」といえます。
この文章を読み終えたあと、
ぜひ一度、自分の言葉で
「私は何のために生きているのか」
を問い直してみてください。
やがて、
あなたの「生きる意味」が、
世界を変えるきっかけになるかもしれません。
第1章
「生きる意味を語れる社会」
とは何か?
「生きる意味を語れる社会」とは?
誰もが“なぜ自分は生まれてきたのか”や
“何のために生きているのか”を、
安心して語り合える関係性のことです。
それは「ただ言葉にする」
というだけではありません。
語った時に、
- 否定されないこと
- 比較されないこと
- 馬鹿にされないこと
です。
つまり「ちゃんと聴いてもらえること」が
前提になっている社会(関係性)です。
これは「個人の自由」ではありません。
なぜならば、「生きる意味を語ること」は
一人では成立しないからです。
語るには、聴いてくれる他者が必要であり、
その語りを受け取れる関係性が必要です。
その意味でこれは
人間関係とその構造における社会の問題
なのです。
しかし現実には、
私たちの社会には、
まだそのような関係性が
当たり前に存在していません。
むしろ、「語ること」が
敬遠されたり、笑われたり、
否定される場面の方が多く見られます。
そのような“語れない構造”こそが、
序章で述べたような、
うつや孤独、分断といった
多くの社会問題の根底にあると考えられます。
なぜ私たちの社会は
「生きる意味を語る」という
常識を失っているのか?
私たちの社会の基本設計には、
「“生きる意味”を語る」という
常識が存在していないかもしれません。
なぜ、そうなってしまったのでしょうか?
おそらく私たちは、
「生き延びること」に意識を集中させるあまり、
「そもそもなぜ生きるのか?」という問いを、
社会全体で置き去りにしてきたからのです。
学校でも職場でも、家庭の中でも、
意味よりも結果や効率が
当たり前のように優先されます。
そんな空気の中で、
「人生とは何か?」
「本当はどう思っているのか?」
「何のために生きているのか?」
という問いは、語られることなく
沈黙していったのかもしれません。
私たちは、「自分の本当の気持ち」を、
伝えるべき相手に、
きちんと伝えられているのでしょうか?
この問いを、もう一度、
社会全体で取り戻す時が
来ているのではないでしょうか?
【思考実験】
もしも人類全員が
「天命」に目覚めたら?
ひとつ、実験をしてみましょう。
前提として、ここでは「天命」とは
「生まれてきた意味および生きる目的」とします。
「天命」を、もし人生や社会や
世界に実装したら、
どんな変容が起こるでしょうか?
質問その1:
あなたが
「天命を悟り、日々全うすること」
ができれば、人生はどうなりますか?
質問その2:
あなたの家族や友人たちが
「天命を悟り、日々全うすること」
ができれば、社会はどうなりますか?
質問その3:
地球の全人類が
「天命を悟り、日々全うすること」
ができれば、世界はどうなりますか?
決して非現実的な理想を
語りたいわけではありません。
ただ、もしもすべての人が
「なぜ生きているのか」を自覚し、
その意味を語り合いながら
日々を全うできたなら──
そこには
戦争も差別も貧困も飢餓も、
根本から必要とされない世界が
見えてくるのではないでしょうか。
そして、その世界こそが
「世界平和」と言えるのではないでしょうか。
邪悪な目的を持つ
反社会的な存在について
もちろん、
反論もあるでしょう。
たとえばこういう指摘です。
反社会的な存在について
性悪説として、たとえば生まれつき
他人を傷つけることしか考えないような
“邪悪な人間”がいたとしたら、
その人の天命は
「反社会的になり得る」のではないか?
たとえば、盗み、犯し、滅ぼすことこそ
「自分の天命だ」と言ってのける
可能性はないのか?
もしそうだとしたら、
世界平和など実現できるはずがない。
この指摘は非常に重要です。
実際、現実社会においても
「盗み・犯し・滅ぼす」
といった破壊的な行動を、
本人が“善意”と信じて
実行してしまう例は存在します。
しかし、それは「天命」ではなく、
単なる暴力です。
必要な限り、法で裁かれるべきであり、
必要な限り、法を改善すべきでしょう。
また、そうした
極端な例外の存在を理由に、
「生きる意味を語れる社会」
そのものの価値を否定するのは非論理的です。
例外的な存在の有無にかかわらず、
「生きる意味を語れる社会」の
本質的価値が揺らぐことはありません。
仮にもし、
そのような「純粋な悪意に満ちた存在」が
目の前に立ちはだかったとしても、
それは「生きる意味を語れる社会」の
可能性を閉ざす理由にはなりません。
とはいえ、以上のことが
「きれいごと」に聞こえるのも事実です。
明確な悪意をもって
他者を支配しようとする存在があるならば、
それは実質の悪魔であり、
必要な限り法で裁くべきです。
私たちがすべきことは、
そうした悪意に対して
個人単位で感情的に反応することではなく、
社会全体の構造の問題として
適切に捉え直すことです。
・悪意とは何か?(善悪とは何か?)
・なぜ悪意ある人間が生まれるのか。
・なぜ他者を踏みにじるような
価値観が醸成されるのか。
・なぜそれを周囲が見過ごし、
助長する空気が存在するのか。
・悪意あるものにどう社会が対処すべきか。
これらを「個人の性格」のせいにするのではなく、
社会構造の歪みとして見つめ直す視点
が必要なのです。
語りの力とは、
こうした背景にある構造的な問いを引き出し、
暴力ではなく理解と
本質的な設計によって変革を促す力です。
つまり、
「生きる意味を語れる社会をつくる」
ということは、
悪意に対して無力でいることではなく、
悪意を生み出さない構造を育てること
でもあるのです。
言い換えると、
「生きる意味を語れる社会をつくる」
ということは、
人間は善意による調和的な発展、
すなわち"愛"に基づいて、
「平和的に繁栄していくことができる」
という前提に立ちます。
だからこそ──
もし、あなたもこの仮説に
共鳴していただけるのなら、
「生きる意味を語れる社会」
という未来を共につくっていく
仲間になっていただけませんか?
第2章
どうすれば
「生きる意味を語れる社会」
を実現できるのか?
ポイント
「生きる意味を語れる社会」
を実現するためには、
まず前提として
「そもそも生きる意味を語ることが
どれほど難しいか」
という事実を受け止めなければなりません。
・自分がなぜ生まれてきたのか。
・何のために生きるのか。
その問いは、
あまりにも大きく、
あまりにも深く、
人々の心の中に沈んでいます。
場合によっては、
考えれば考えるほど分からなくなってしまう。
誰かに語ろうとしても、
うまく言葉にならない。
そして、そのまま日常に流されていく
──このような姿は決して珍しくありません。
かつて中国の思想家である孔子は
「五十にして天命を知る」と言いました。
けれど今の時代、50歳を超えてもなお
「天命」に辿り着けていない人が
ほとんどでしょう。
現代では、
むしろ中年期以降のほうが
「何のために生きているのか分からない」
と感じる人が増えているように思います。
実際、精神医学の分野では
「ミッドライフクライシス(中年の心理的危機)」
という概念があり、
人生の後半にさしかかった時期に、
存在や目的に対する深い問いに
直面するケースが珍しくありません。
私自身も、その一人でした。
心理療法や能力開発の専門家として
仕事をしていたにもかかわらず、
ある時うつ病を患い、
生きることすら重荷に感じ、
命を手放すことすら考えました。
その体験を通して
はっきりと理解したのは──
「天命を悟ることには、
それに特化した知識と技術が必要である」
ということです。
以来、私は
「天命の言語化セッション™︎」
を開発しました。
古今東西の思想哲学・宗教・対人支援の
メソッドを深く探究し、
その成果として
認識論や意味論に関する専門書籍を9冊、
論文を8本執筆してきました。
そうした研究と実践の
積み重ねの中でたどり着いたのが、
結論
「Metaがある限り自由意志はない」
(人生に起こることはすべて必然である)」
という論理です。
本書では
その詳細には立ち入りませんが、
「天命とは何か」を語るための土台として、
これは極めて重要な立脚点になっています。
「天命の言語化セッション™︎」ならば、
難しい理論の学習を一切せずとも、
自宅にいながら2時間で天命を言語化できます。
現時点で、
100名を超える方々に提供し、
性別・年齢・職業を問わず
高い評価をいただいています。
とはいえ、個人セッションは
マンツーマンでの対応になるため、
一度に多くの人に届けるには限界があります。
そのため、今後の課題としては、
オンラインサロンの運営や
グループセッションの拡充が挙げられます。
これにより、
「語れる場」としての関係性の層を広げ、
より多くの人が共鳴しあえる
「共同体的な空間」を育てていくことができます。
ただ、それ以上に本質的で長期的な課題は、
社会全体の“空気”を変えていくことです。
自分の「生まれてきた意味」や
「生きる目的」を語り合うことに、
抵抗感を抱いている人は少なくありません。
多くの場合、それは
「語りたくない」という拒否ではなく、
「どう語ればよいのか分からない」
「語っても本気で受け取ってもらえる自信が持てない」
という内なる迷いや
不安があるからです。
そうした空気を少しでも変えるために、
私はYouTubeチャンネルを立ち上げ、
情報発信を始めました。
チャンネル名は
「愛国チャンネル」
(政治とスピリチュアルの交差点)
です。
このチャンネルのコンセプトは、“愛国心”。
なぜならば、
「自分の生まれてきた意味」や
「生きる目的」を語るとき、
その根底には
“日本という国の自分という物語”が
無意識に流れていると感じたからです。
すなわち、
私たちが日本を愛する気持ちと、
自分の「天命を悟り、日々全うすること」は
密接に関係しています。
自分の天命を語れば語るほど、
自分自身の物語は
「日本」という文脈と切り離せなくなっていく。
そう気づいたからこそ、
「日本を愛する」
という視点が生まれました。
「政治」と「スピリチュアル」という
一見相容れない二つのテーマを
私が扱っているのは、
そこに本質的な共通構造がある
と気づいたからです。
私自身の認識論的探究
(「Metaがある限り自由意志はない」)は、
インド哲学における「梵我一如」や、
仏教における
「空(くう)」と深く響き合っており、
これはスピリチュアルな次元の構造です。
一方で、
瞑想と意味論の実践を通じてたどり着いた
「天命を悟り、日々全うする」という思想は、
中国古典の
「修身斉家治国平天下」(『礼記』大学篇)や、
日本思想における
「和をもって尊しとなす」(聖徳太子)といった
倫理的・社会的構造と完全に重なりました。
これは政治的な次元の構造です。
それらは形式や文脈こそ異なるものの、
根本では「人間の在り方」や
「社会と個の関係性」において、
同一の構造を持っていると感じたのです。
だからこそ、
私はこの二つを対立させるのではなく、
統合すべきものとして選び、
発信することに決めました。
そうして生まれたのが
「愛国チャンネル」
(政治とスピリチュアルの交差点)です。
もちろん、私風情の情報発信には
今すぐ社会全体を変えるような即効性は
ないかもしれません。
しかし、それを見て
「自分も語ってみたい」
と思う人が一人でも現れたなら、
そこから社会の空気は静かに、
そして確実に変わっていきます。
情報発信とは、単なる自己表現ではなく、
“意味の構文”を社会に蒔く行為です。
私は、その構文がやがて人々の意識に根を張り、
制度や文化にまで波及していくと信じています。
「生きる意味を語れる社会」は、
ただの理想ではありません。
構造として設計し、
今この瞬間から実装できる未来
なのです。
第3章
いますぐ「天命」を
言語化しよう!
ここまでの章では、
以下のような構造で
「生きる意味を語れる社会」について
論考してきました。
序章のまとめ
「なぜ生きる意味を
語ることが必要なのか?」
という問題提起をしました。
無気力、孤独、うつ、自殺といった
現代の社会病理は、
語れなさ=実存の喪失
から生まれています
第1章のまとめ
第1章では、
「生きる意味を語れる社会とは何か?」
を定義しました。
それは、誰もが
「天命(生まれてきた意味・生きる目的)」を
自分の言葉で語り、
それが否定されない社会のこと。
人々が天命を語る状態には、
心理的安全性・全肯定が必須であること。
例外として、
反社会的な存在については
個人の問題にせず、
社会問題として捉え直すこと。
第2章のまとめ
第2章では
「どうすれば
生きる意味を語れる社会を
実現できるのか?」
を具体的に構造化しました。
「天命の言語化セッション™︎」では
マンツーマン(個人)のサポートを。
「わかってる人サロン」では、
コミュニティとしてのサポートを。
「愛国チャンネル」では、
Youtubeを通じた情報発信(社会構造)を。
以上の三層のアプローチを実行しています。
以上、
「生きる意味を語れる社会」が
なぜ必要なのか、
どうすれば実現できるのかを
語ってきました。
しかし、
どれだけ社会を整えても、
制度や場を整備しても、
最後に語るのは
一人ひとりの“あなた”自身です。
だからこそ、次に必要なのは
「いますぐ、自分の天命を言語化する」
という第一歩です!
あなたへのお願い
「生きる意味を語れる社会をつくること」
に共鳴してくださるのであれば、
ぜひ以下のような形で
参加していただけたら嬉しいです
1.「天命を悟り、日々全うしたい!」
という方(人生ガチ勢向け)
→ 天命の言語化セッション™︎を受けてみてください。
トライアル(無料)はこちら。
2.「とりあえず、語ることから始めてみたい」
(入門・初心者向け)
→「わかってる人サロン」にご参加ください。
詳しくはこちらですが、まずはこちらの無料メールマガジンからご覧ください。
3.「語る場を共に育てたい」
(視聴応援・コメント参加向け)
→「愛国チャンネル」の視聴・チャンネル登録、
コメント・高評価、
ぜひよろしくお願いいたします!
最後に
以上のアプローチは、
現代版「人間性解放運動」ともいうべき、
社会構造を変えるための運動です。
この文章を
ここまで読んでくださったあなたは、
もはや「生きる意味」というテーマを、
遠い誰かの問題としてではなく、
自分ごととして
捉え始めているのではないでしょうか。
「自分がなぜ生まれてきたのか?」
「何のために生きているのか?」
この問いに向き合い、
それを自分の言葉で語るということ。
それはあなた自身の癒しであると同時に、
まだ語れていない誰かの光にもなります。
そのような社会を、
私たちと一緒に創っていきませんか?
あなたとお話しできることを、
心から楽しみにしております。
箭内宏紀
(2025/08/04)