タイトル:人生とは?
制作日:2025/06/07
制作意図
この60秒の映像は、「天命の言語化セッション™」で私がこれまでご一緒してきた多くの女性クライアントの方々との対話をもとに構成されています。
個別のエピソードではなく、それらを統合した“ある女性の一生”として、普遍的な物語構造を描いています。
映像に登場するのは、特定の誰かではありません。
けれど、これまで出会ってきた一人ひとりの女性の声が、確かにそこに重なっています。
生まれ、愛され、学び、働き、恋をして、結婚や出産、介護や離別、喪失を経験しながら──ふとした瞬間に「私はいったい何のために生きてきたのか?」という問いが胸に浮かぶ。
それは、どこかにずっとあったはずなのに、語る機会のなかった「語られてこなかった問い」です。
「天命の言語化セッション™」で私がご一緒するのは、その問いを誰にも明かさず抱えて生きてきた女性たちです。
多くの方が、自分なりに努力し、学び、周囲に尽くしてこられました。
家庭や職場での役割も果たし、誰から見ても立派に見える人生を送ってこられた方ばかりです。
けれども、あるとき「もうこれ以上、頑張れない」と感じる瞬間が訪れます。
「もっとやれるはず」と思いながらも、何か大切なものが語られないまま、どこかに置き去りにされていたことに気づくのです。
私はこれまで、そうした人生の深層と向き合う女性たちと共に、語られていなかった言葉を“語ってしまう”という体験を重ねてきました。
それが「天命を言語化する」ということです。
この映像では、彼女たちの物語を凝縮し、60秒の時間に一生を象徴するような問いと言葉を重ねています。
何より伝えたいのは──語るべきことを、語ることができる場があるということです。
「私の人生は、これだったんだ」と思える瞬間を、どうか、あなたにも手渡せますように。
タイトル:怒れ
制作日:2025/06/09
制作意図
この映像は、「自分の人生を自分の言葉で定義したい」と願う男たちの構造を、映像と言葉で表現したものです。
誰にどう思われるか。
社会の中でどう見えるか。
そういう次元の話ではありません。
もっと根源的な問い──
「俺は、何のために生きてきたのか?」
「この人生は、どこに向かっていたのか?」
それを、自分の声で語れるかどうか。
その一点だけが問われています。
誰かに褒められることでも、成功することでもない。
本当の意味で、自分の“天命”に整合してしまった男は、もう誰にも、何にも、依存していません。
私がご一緒してきた男たちは、怒りを抱えていました。
だがそれは、制御不能な爆発ではない。
むしろ、語られなかった怒りこそが、知性として立ち上がってくる瞬間があるのです。
語らないのが強さではない。
語るべき時に、語るべき言葉を、語ってしまえること。
それが、構造に整った男の“起動”です。
この1分45秒の映像は、そうした知性の起動点を描いています。
力強い言葉は出てきません。
だが、映し出される男の姿は、“整った語り”の塊そのものです。
語らずにいた年月を超えて、
自分の人生を、自分の構文で言語化すること。
それこそが、天命という名の知性です。
この映像が、あなた自身の問いを起動させるきっかけになることを願っています。